知っておきたいアルゼンチンの歴史

ブエノスアイレスを楽しむために、知っておきたい歴史をまとめました。

日本にいるとアルゼンチンの歴史を勉強する機会はあまりありませんよね。
私は高校生の頃、日本史を選択したため全く世界史を知らず「南米」という響きから、アマゾン川と浅黒い肌の人を連想し、近代国家日本とは違う道徳観念の場所なんだって勝手に思い込んでいた、非常に無知な人間でした。

そんな私がアルゼンチンに住むようになって、学んだこの国の歴史。

街で見かけるものや建物、この土地の人と話すとき、タンゴの歴史を学ぶ時、様々な場面でアルゼンチンの歴史の側面を見てきました。
旅行される際、こんなことを知っていたらもっとアルゼンチンやブエノスアイレスの歴史に興味が湧きそう!と思うことをピックアップして説明しています。

目次

建国まで

1500年から1700年代 

1516年ファン・ディアス・デ・ソリスが最初のヨーロッパ人としてアルゼンチンに到着。
1536年ペドロ・デ・メンドーサがアルゼンチン最初の入植地を設立。ここが後に「ブエノスアイレス」となる。

1800年代

1816年独立宣言。7月9日にホセ・デ・サンマルティン(※1)が率いてアルゼンチンの独立を宣言。
1853年憲法を制定される
1861年正式な国政が始まる
1870年「砂漠の征服」軍事キャンペーンによって多くの先住民が殺される
1880年ブエノスアイレスが正式が首都になる

19世紀から20世紀にかけて、アルゼンチン政府はヨーロッパ移民を奨励し、イタリア・スペインを代表とするヨーロッパから1200万もの移民が流れ込みました。
これにより、アルゼンチンの経済は急速な発展を遂げ、世界有数の富裕国に成長します。

アルゼンチンでは、暮らす人々のほとんどがヨーロッパ人の姿をしています。
多くの人種が暮らすアルゼンチンではありますが、97%が白人と言われており、この街で肌の浅黒い私たちが想像するような南米人に合うことはあまりありません。

理由は、1516年にこの土地をヨーロッパ人が発見してから、先住民族は、病気や奴隷化、戦争などで多くの打撃を受け、ヨーロッパ人たちが設立した新政府によって土地が奪われ、排除されていった歴史があります。

1970年に軍事キャンペーンで行われた「砂漠の征服」でも多くの先住民が殺され、土地が奪われ、生き残った先住民は内地の方へと移動していきました。
現在、首都であるブエノスアイレスで暮らす人の多くは、ヨーロッパ人の祖先をもつアルゼンチン人となっています。

歴史に興味がわく?!こんな話①

「母を訪ねて三千里」のアニメをご存知でしょうか?
1976年にフジテレビ系で放送されたアニメです。

イタリア人の少年マルコは、家族で慎ましやかな生活を送っていますが、とうとう生活が立ち行かなくなり母がアルゼンチンに出稼ぎに行くことになります。
寂しく母の便りを待つマルコですが、母からの便りが急に途絶えてしまい、心配したマルコは1人アルゼンチンに母を探しに出かけます…というお話。

主人公マルコは、ヨーロッパから船に乗って海を渡りアルゼンチンの港に到着します。マルコが最初に踏んだアルゼンチンの土地は、ブエノスアイレスのはずれにあるボカの港。「カミニート」は観光地としても有名です。
「母を訪ねて三千里」ファン必見の観光スポットです!

歴史に興味がわく?!こんな話②

みんな知ってるサンマルティン将軍(※1)!

南米の父と呼ばれるサンマルティン将軍については、アルゼンチン人なら誰でも知っている有名人です。
日本でいう、織田信長や徳川家康などの歴史上の有名人といったところで、子供達向けのアニメにもなっちゃうほど。

ホセ・デ・サン・マルティンは、アルゼンチンのコリエンテス州のスペイン軍の父の元に生まれ、スペイン軍で22年間働きました。しかし、母国アルゼンチン独立の話を聞き、全てを投げ打ってアルゼンチンへ帰国。アルゼンチンが行うスペインからの独立運動に追力します。
(つまりは22年間仕えたスペイン軍よりも母国アルゼンチンに味方して、スペイン軍を敵に回した人)

そしてアルゼンチンの他に、チリ、ペルーを独立解放に導きました。その後、ボリビア独立運動の際に失脚。
フランスで余生を過ごし失意の内に 1850年8月17日死去します。

1880年代に入ってから再評価され、現在は、ブエノスアイレスの中心地にサンマルティン広場と呼ばれる大きな公園があり、またブエノスアイレス大聖堂には彼の棺が安置されていて、アルゼンチン、チリ、ペルーの聖女像に囲まれています。

現在アルゼンチンでは、サンマルティン将軍の命日の8月17日は祝日になっています。

近代史

1900年代

1920年世界恐慌によってアルゼンチン経済は一気に悪化
1930年1930年から40年は不正選挙が横行(忌まわしい10年間と呼ばれる)
1946年ペロン大統領就任
1955年クーデターの結果、ペロン大統領は亡命

ファン・ペロンは、1946年大統領に就任。外国資本の諸企業の国有化やイギリス資本の鉄道の買収を経てナショナリズムを高めていきます。ペロン大統領の妻は、エバ・ペロン(通称:エビータ)(※2)。彼女は、彼の権力獲得に貢献し、国の女性参政権を得る手助けを行い国民から深く愛されました。

21世紀の現在もペロン党は存在し、ファン・ペロンのその影響を受けています。

歴史に興味がわく?!こんな話③

ペロン大統領よりも有名になった妻「エビータ」(※2)

田舎の私生児だったエビータが大統領夫人となり貧しい民衆とアルゼンチンを愛し、激動の時代を生き、女盛りの32歳という若さで病で亡くなります。
このドラマのような本当のシンデレラストーリーは多くの人の胸を打ち、映画やミュージカルになっています。
マドンナの映画「エビータ」や劇団四季の「エビータ」でも大人気。

国内でもエビータの肖像や絵は飾られていて、現在もパレルモにエビータの人生を展示した美術館があります。
聖女と呼ばれる一方で、悪女とも囁かれるエビータの真実に興味が湧きます。

歴史に興味がわく?!こんな話④

実は、とーーーーーっても親日家のアルゼンチン。

現代社会でも日本への旅行は憧れのまと、日本の動向が気になるアルゼンチン人。
実はそれは戦前アルゼンチンに移住した日本人がとても勤勉で真面目で誠実だったから。
「日本人のように働きなさい」と模範にされていたのです。

それは歴史的な場面でも感じられます。
第2次世界大戦時、アルゼンチンは連合国の早期参戦への圧力にも屈しず、中立の立場を採用。
終戦間近の1945年3月になるまで、対日戦線布告は行いませんでした。

また、1951年のサンフランシスコ講和条約においても、アルゼンチンは日本の国際社会への復帰を支持しています。
1946年に大統領に就任したペロン夫妻は、大の親日家で「エバ・ペロン」財団を通じて、戦後の飢えに苦しむ日本へ1949年と1950年に食糧、衣料品などを援助しています。

また、アルゼンチン国内ではペロン大統領夫妻が、アルゼンチンに暮らす日本人のカトリック受洗者850名の代父母にもなるなど、日本に対して好意を示しています。

この想い、大切にしたいですね。

1976年ホルヘ・ラファエル。ビデラ大統領の就任。軍事政権と「汚い戦争」(※3)が始まる
1982年マルビナスの戦い(※4)が勃発。2ヶ月で敗北。
1983年政府は民政へ移管

歴史に興味がわく?!こんな話⑤

汚い戦争(※3)とは、1976年から1983年にアルゼンチンを統治した軍事政権による白色テロ。

左翼ゲリラの取り締まりを名目として、労働組合員、政治活動家、学生、ジャーナリストなどが逮捕、監禁、拷問されたと言われています。
多くは、亡命したペロン元大統領を支持していたペロン党員や支持者であり、1976年から1977年の1年間で3万人が蒸発した。

この3万人の不明者たちの母が立ち上がり、1979年に「5月広場の母たちの運動」が結成。
行方不明者の調査と不法逮捕者の釈放を求める要望書に2万4000人の署名が集められ抗議した。

この5月広場の母たち運動は、現在も市民の記憶に残り、現在も行方不明者は捜索されています。
ブエノスアイレスの街中には頭巾を被った母たちのマークが今も至るところに残っています。

また1976年3月24日に起きたこのクーデターが以後7年間も汚い戦争に弾圧される歴史になったため、現在はこの日は祝日とし、町中で市民によるデモ行進が行われる。

歴史に興味がわく?!こんな話⑥

「フォークランド諸島」はイギリスの呼び方であって、アルゼンチンは「マルビナス諸島」と呼ぶ。

アルゼンチン人の前で、「フォークランド」と呼ぶと「マルビナス」と正される可能性が高いのでここはアルゼンチン人の前では厳重注意。
つまり、アルゼンチンの歴史の中では「フォークランド紛争」ではなく「マルビナスの戦い(※4)」です。

アルゼンチン人にとって、この戦争の敗北はいたたまれない出来事です。
今でもお年寄りの中には、その頃の話をされる人もいて、まだ遠い歴史上の事柄ではありません。

近年の大統領たち

1989年-1999年ペロン党のカルロス・メネムが大統領に。
戦後、年率3000%を超えるインフレを鎮静させ、国営企業の民営化を進めた
2003年-2007年ネストル・カルロス・キルチネル大統領
2007年-2015年クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル大統領(ネストル氏の夫人)
2015年-2019年マウリシオ・マクリ大統領
2019年-2023年アルベルト・フェルナンデス大統領
2023年-2027年ハビエル・ミレイ大統領

歴史に興味がわく?!こんな話⑦

2020年5月にアルゼンチンは建国以来9度目の債務不履行(デフォルト)に。
最近では2014年、2001年にもアルゼンチンはデフォルトになっています。

また2023年12月には32年ぶりとなる200%超え。消費者物価指数は、前年度同月比211.4%の上昇という状況。

2022年までの指標をもとにした消費者物価指数の国別ランキングでは、72.43%で世界5位にいたアルゼンチン。
2023年12月に200%超えをしたことによって不名誉な消費者物価指数世界第1位の座に。

2023年12月に経済学者のミレイ氏が大統領に就任し、今後、どのようになっていくのか期待が集まっています。

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