プロフィール

AKANE (あかね)

★タンゴダンサー・講師
★タンゴライフアドバイザー
★ライター・コラムニスト
★国際結婚した主婦&1児の母

静岡生まれの女子校育ち。
自分の幸せのために頑張るタイプ。
恋しい日本食のために食を研究するザ★食いしん坊。
趣味は自分用の衣装作り。

・電子書籍『人生を変える海外移住 ブエノスアイレス』
・タンゴブログ「Aroma de Buenos Aires」
・移住ブログ「失敗しない海外移住のはじめ方」
・ミロンガファッション提案ブランド「piropos」

これまでとこれから。

サンテルモの野外ミロンガ

「こじらせ女子」という言葉が流行り出した頃…

その典型だった私は、東京の大手IT企業で働き、WEBディレクターとして地方自治体サイトの構築プロジェクト、新規事業の立ち上げに関わるなど、仕事は固めで常にストレスフル。

その傍ら、アルゼンチンタンゴを習っていた私。仕事帰りに踊りに行き、そこにいる友人とお酒を飲む時間を大切にしていました。仕事以外の自分の居場所だった「ミロンガ」(タンゴの社交場)が好きでした。

10代の頃観た映画で、バンドネオンの嘆きのような音色と抱擁しながら静かに踊る2人の姿が印象的だったアルゼンチンタンゴ。踊りに魅せられたけれど、誰かと抱擁しながら踊るなんて羞恥心の塊だった10代には難しくて、他人の肌にさえ触りたくなかったし、受け入れられなかった。

30代、許容も受容も自分次第だとわかって、他人の抱擁が怖くないとわかってからタンゴを習い始めました。
仕事に追われてどこかに置いて来てしまった、人と心を通わせる時間や抱擁の温もりが、一瞬でもそこにはあったから。

あの頃の私は、プライベートは上手くいかないことばかりで、何年も前に別れた彼に急に連絡したりと、
それなりに病んでいた部分もあったかな。
どうやって恋愛するのかもわからなくなって、年を重ねるばかり 。

「いつかは私も結婚して子供も産んでみたい」と言いながら、
「いつか」なんてきっと一生来ないんじゃないか、とどこかで思っていました。

友人の応援もあってブエノスアイレスで行われたタンゴ世界選手権を観た時、
「いつか私もあの舞台に立ちたいな」と淡く夢と期待に胸を膨らませながらも、
私にとってきっと叶わないだろう「いつか」がまた1つ増えただけ。

日本へ帰る飛行機の中、ブエノスアイレスを離れるのが嫌で涙が止まりません。
そこで、こじらせ女子は一大決心をします。

「”いつか”は待っていても来ない。その時を自分が決めなくては」と。

この短い旅行で私の中の何かが変わり、気がついたのかもしれません。
留学する。と決めました。

当時、35歳。

やりたいと思ったことは、結婚前(予定なし)に全部叶えたい。
留学から帰ったら結婚もしたい。子供も産みたい。

もう35歳だし、早くしないと。
行くなら「今」という選択しかありませんでした。

私が自分の人生に主体的になった瞬間だったのかもしれません。

ビビりの私の気が変わらないように、決めた出発日は3ヶ月後の12月末。
12月末までに出国すれば、次年の住民税の支払が免除されるのも大きな理由。

この時、タンゴを学ぶために必要な英語・スペイン語の語学力は皆無でした。
「勢い」だけを持っての出発です。

元日、ブエノスアイレスに到着。
不安と恐怖で始まった留学1年目は、期末になっても自分の成長が感じられず、
悔しくて、泣きながら1年の予定だった留学を3年に延長しました。

タンゴという「文化」を肌で感じながら学ぶ…といえば綺麗に聞こえるけれど、
言葉がわからなかったので肌にグイグイ押し付けて、刷り込んでいった感じ。

タンゴは、先生に教えてもらうというより、その場の空気から学ぶものだと感じたから。
どうしても感じた空気を自分の身体に強く強く染みつけたくて、
そのためにはもっとこの場所にいなくてはいけないような、ある種の脅迫観念が生まれました。

グランマエストロのトトお爺さん
タンゴデモの様子

洗練された、魅せるためのショータンゴ(エセナリオ)を学びたくて留学したはずなのに、
いつの間にかミロンゲーロ(タンゴ愛好家)の身体に馴染んだ、こなれた踊りが愛おしくなっていました。

この街のタンゴを知れば知るほど、
長い間、街のミロンガ で踊られてきた、古典的な踊りに魅せられてしまう。

文化や歴史の背景を繙いて 、どうしてそうなったのか深く知りたくなってしまう。
この“ブエノスアイレス”という街が育てた、古くてカビ臭いタンゴという踊り。
ただ静かに2人で歩幅を揃えて歩くその裏に、実は強い強い意志があるタンゴの魅力。

タンゴが生まれた街「カミニート」のレストランで踊るタンゴ
ミロンガでのエキシビション

この街に来て「ブエノスアイレスでしか経験できないこと」からたくさん学びました。
タンゴが生まれた街、ボカ地区にあるカミニートのレストランの軒先で踊り、
本場ブエノスアイレスのミロンガでエキシビションをして、
ブエノスアイレスのコンペティション(選手権)で競い合って踊る経験もして。

そして何よりも、何十年も踊り続けてきたミロンゲーロたちに
たくさんのアブラッソ(抱擁)をしてもらえるようになりました 。

そんな経験が“私のタンゴ”を創っていきます。

ミロンゲーロのアブラッソ
クラスの仲間とエキシビション
PVビデオへの出演
妊娠中の世界選手権参加
一時帰国中のエキシビション

2017年、留学最初の目標だったタンゴ世界選手権への出場も実現しました。

プライベートでは、ダンスパートナーでもあり親友でもあったパトリシオと結婚。
一児を授かり、ブエノスアイレスで妻・母としても穏やかで幸せに満ちた毎日を過ごしています。

ブエノスアイレスでの生活も9年目。
日本でタンゴを始めた時には想像もできなかったような毎日です。

私は今、“タンゴライフアドバイザー”として活動しています。
ブエノスアイレスでタンゴを見たいという方に、本当のタンゴ文化を知っていただきたいから。
本場で学んだタンゴの真髄を伝え、タンゴの学び方、大好きなブエノスアイレスという街の紹介や過ごし方、留学支援など、日本のタンゴ愛好家の方をさまざまな面からサポートしています。

また、留学中に日本企業とオンラインでお仕事をしていたことをきっかけに、
タンゴの紹介やブエノスアイレスの街についての執筆も続けています。

2020年にはご縁あって電子書籍『人生を変える海外移住 ブエノスアイレス』を出版。

言葉の通じない外国でつらい留学期間を経た私自身が夢を叶えるために必要だった「心と身体の健康」をテーマに、マインドフルネス瞑想のトレーナーとしても活動中です。

日本のミロンゲーラに向けたミロンガファッション提案ブランド「piropos」も2023年に始動。

なんやかんやと興味のあることにはすべて手を出すタイプ(笑)

日本から見て地球の反対側、ブエノスアイレスで暮らしながら
私の故郷である日本に素敵なタンゲーロス・ミロンゲーロスが増えることを心から願い、
今日もまたそのお手伝いをさせていただいています。